クリスチャン・ディオール(Christian Dior)

リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で1946年に独立し「クリスチャン ディオール・オートクチュール・メゾン」が誕生して自分自身のブティックを持ちます。
そして、1947S/Sシーズンにパリコレクションにデビューすると、ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりでなだらかな肩に、細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートという優美なスタイルの「花冠ライン」を発表します。
そのシルエットの美しさに驚いた「ハーパース・バザー」の編集長カーメル・スノウが「これはまさにニュー・ルックね」と言ったことから、そのデザインはニュールックと呼ばれて、世界のモード界に新しい風を吹かせました。

また、48年には香水部門の会社、パルファン・クリスチャン ディオールを設立しました。クチュリエとしては初めてライセンス事業に乗りだし、アメリカにおいてライセンス生産を開始します。香水につづくライセンス契約で、ストッキング、ネクタイ、食器類等を生産していき、いわゆるブランドビジネスの先駆け的な存在になりました。
クリスチャン ディオールが57年にイタリアに旅行中、心臓麻痺により52歳で急逝すると、21歳の若さでイヴ サンローランが主任デザイナーに抜擢されます。その後、60年にマルク・ボアンが就任して89年までデザインを担当しましたね。
70年代からは、経営危機を迎え、一時親会社のブサック・サンフレール社が国有化される状態に陥いりますが、84年、ベルナールアルノーが経営を引き継ぎブランドを再興させます。現在は、LVMHを経営上の傘下に持つまでに成長しています。
89年には、ジャンフランコ・フェレに引き継がれ、ディオール創立50周年の96年より、ジョン ガリアーノがデザイナーに就任しました。フェレ、ガリアーノは、伝統的なディオールの「シルエット」にモダンを取り込み、ディオールをトレンドセッターとして再生させました。
2007年、メゾン設立60周年を記念して、ディオールとガリアーノにフォーカスした展覧会「Two Decades of Creation〜モードを変えた二人の奇才〜」が開催されました。
メンズラインについては、発足前にディオール・ムッシュというラインで、パトリック・ラヴォワがデザインを担当して展開していましたが、メンズウェアブランドとしてはやや低迷していたところ…、2000年にエディスリマンがディオールオムを立ち上げて、大きな反響を呼び、メンズファッションとしても影響力を発揮しました。
そして2007年、ディオールオムの新デザイナーにクリス ヴァン アッシュが就任し現在に至っています。